九、立ち聞き(7)

「あんまあれこれ考えなくていいんじゃないですかね。」
「什長だっら思うがままにふるまったって影響される範囲が狭いからまあ自由だったけどよ、今はそういうわけにもいかないだろ。なんかでションボリしてる時でも、五百人以上もの人にションボリを伝染させたらマズいなあと思うと楽しそうにしてるしかないじゃん? そういうのダメなんだよなあ。もしウツこじらせちまったらどうなんのかなって考えると怖えよ。もうそうなったらスッパリ辞めちまうかな。それが自分にとってもみんなにとっても最善だ。いくら人手不足だっつっても病気だって言やあ嫌がらせ無しですんなり辞めさせてくれるだろ。」
「すんなり手放しますかねえ。体じゃなくて精神面の不調って外からは分かりにくいものじゃないですか。うまく逃げられますか?」
「実際ウツになっちまった時のことを想像すると、辞めてえって言いだす元気もないかもしんねえな。危険だなあ。みんな血も涙もねえからな。俺の前任者の趙さんだってさ、みんな端から見て分かってたと思うんだよ、危ねえって。体調悪いとか言っててもよ、死ぬまで気付かねえんだよ。っつうか、見て見ぬふりなんだよ。これが人間の働く組織の有り様かよ。こんな状態はいつまでも続けていいもんじゃねえぜ。」
「やっぱりちょくちょく様子を見にきてあげないとだめなんですね。あぶないなと思ったらこの叔父さんが可愛い甥っ子を営門の外に引きずり出す。」
「頼もしいじゃん。命綱だね。」
「あんまり、人に迷惑かけないように頑張ろうとか思わずに気楽にやったほうがいいですよ。もとが充分真面目なんですからね。」
「ギャハハハ、真面目くん。気楽に、ってもなあ。人命かかってるし。重すぎ。ぺっちゃんこになっちゃう。」
「それ将軍に全部乗っけとけばいいじゃないですか。」
「前に強行軍の訓練をした時、子午道の入り口をみんなに見せてやったらよ、ガキども『待ってろよー、長安!』とか叫びやがって、やる気満々でやんのな。どいつもこいつも馬鹿ばっかだよ。俺は何百人という無垢な若者を地獄に送り込む魔鬼あくまってわけ。」
ふうん。魔鬼あくまというとなんか、強くて悪くて賢そうな語感があるな。いん紂王ちゅうおうとか秦の始皇帝みたいな。紂王も始皇帝も悪者の代表格みたいになっているが、俺はちょびっとだけ好きだ。俺のようなまっとうな小者にかぎって魔鬼あくま的なものに対する憧れを抱いているのではなかろうか。自分ができないような逸脱行動をドカンとやってくれる魔鬼あくまを見ると、日頃大人しく過ごしているイライラがスカッと解消されるわけだ。酒池肉林とか焚書坑儒ふんしょこうじゅとか、みんなぜったい憧れてるだろ。ところで酒池肉林って言葉だけしか知らないが、具体的にはどんな絵面えづらなんだろう。酒風呂に浸かりながら木にぶら下がってるお肉を食い放題? 裸の美女もいるのかな。片手におっぱい、片手にお肉。……ぼけーっとあれこれ妄想をめぐらせていると、不意に隊長が目の前に現れた。ああマズい。ぼけっとしてる間に叔父さんとのおしゃべりが終わって見送りのために出てきたらしい。盗み聞きしてたのがバレバレじゃないか……。



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