五、魔境(5)

 朝の空気に冬の匂いを感じるようになりだしたある日、隊長はニッコリと笑ってこう言った。
「みんな歩くの上手になったな。もう下手くそとは言わないぜ。諸君の発言権をお返しします。俺に文句があるならガンガン言いな。」
ガンガン言いな、と言われても、どっと笑いが起こっただけだった。みんな以前に比べて明らかに歩くのが楽になったことを実感していたからだ。隊長はなぜかはにかんだように笑った。
「みんなが上手に歩けるようになったことを実感してもらうために、お泊り遠足を企画したぜ。三泊四日、六百里。」
ほお、という感じで軽いどよめきが起こったが、それだけだ。四日で六百里なんて気違い沙汰だと思うけどな。みんなやけに自信満々じゃん。
「前に三百里歩いた時は月夜だったけどな、今回は闇夜だぜ。星月夜ほしづきよっていう素敵な言葉があるらしいな。行き先はこっから南西に三百里、桟道さんどうの真っただ中の明月峡めいげつきょうだ。そこで細っそい月を拝んで帰って来りゃあちょうど六百里。曇ってるかもしんねえけどな。真っ暗闇の中、松明たいまつガンガンに灯して毎日深夜まで命懸けで狭っめえ桟道を早足で歩くわけ。疲れて転んだら千尋の谷底! 楽しいぜ~。」
どこが楽しいんだ。頭おかしいんじゃねえか。やっぱりみんな「えっ、無茶な」という顔をした。韓英の野郎、まったく油断のならない奴だ。

 初めて三百里の行軍をした時は鉄鎧を着ていたが、今回は鎧は巻いて携帯する。お泊りなので若干の荷物はある。煮炊きはしない。乾いた牛糞のような見た目と食感の激マズの軍用食で過ごす。道中の楽しみは山や川の景観だ。もっとも、狭い桟道を早足で歩くから、眺めを楽しむゆとりはあまりない。日の出と同時に行動を開始し、深夜まで歩き通す。
 今回、隊長は前回のような馬鹿丸出しの徒歩ではなく、指揮官らしく馬に乗っている。このあいだみたいな平地を進む時に馬を使わずに、歩く方が安全そうな険しい山道を進む時にわざわざ馬を使うなんて、頭おかしいんじゃなかろうか。俺はしばらく黙って見ていたが、道がいよいよ山にさしかかるというところで、人道的観点から一言いってやることにした。
「あのお、このあいだは歩いてたのに、どうしてわざわざ山道に馬で乗り入れようとするんですか?」
「楽しいじゃん。馬のほうは大変だろうけどさ。」
「どこが楽しいんですか?」
「楽しいぜ、馬で山道。季寧もちょっと乗ってみる?」
「遠慮しときます。」
わけが分からない。落っこちそうな恐怖がたまらないということだろうか。



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