三十八、得勝回(勝ちを得てかえる)(1)

 建興けんこう八年秋七月幾望きぼう、入り残る明月を眺めながら朝飯を食う。外壩河がいはかを挟んだ向こう側には、姜奉義きょうほうぎの率いる漢城の精兵一万がやはり朝飯を食っている。夜明けとともに開戦だ。左手で箸を使って上手に咸豆腐シエンドウフを好みの大きさにしている隊長を眺めながら、陳屯長が怒気を含んで言った。
「もしかして左利きなんですか。」
「ギク。……はい。そうです。」
陳屯長は眉間に皺を寄せたまま黙りこくった。そりゃそうだ。このあいだから、隊長が筆を執れないと思ってさんざん書き物を手伝ってやった、というか、丸投げされてひいひい言いながら処理してやっていたのに、まさかの左利き。ふうん、そういえば、ここんところ左手で箸持ってたっけ。俺べつに気にしてなかったけど。
「……ということは、左手で字も書けるんですか?」
「さあ。文字と箸は小さい頃に右に矯正しちゃったからなあ。」
「いや、ぜったい書けるでしょう。箸だって左手でそんなに上手に扱ってるんですから、字が書けないはずはない。」
「おおなるほど、そうかもしれないねえ。」
「この野郎! すっとぼけやがって!」
陳屯長にしては珍しく、冗談半分・本気半分で隊長の首をしめる。
「うう~、死ぬ! 開戦前に指揮官死亡! しょっ、将軍! ここに姜奉義の刺客がいます……!」
誰一人助けに入ることなく、冷笑を浮かべながら二名を取り囲んで悠長に話しかける。
「なあんだ、左利きだったんですか。どうりで盾で相手をぶっ叩いてる時のほうが凶悪なわけだ。」
「どうして刀を右で持ってるんですかあ? 左に持ち替えたら最強になれるのに。」
「助けて! か弱い怪我人だよ!」
「もしや左は封印された隠し剣なんですか?」
「うぐぐぐ……死んじゃうよ……助けて……!」
そう言いつつ凶暴な動作で陳屯長の両鼻に指をつっこんで思い切り上に押し上げて脱出する。
「助けなんか必要ないくせに。」
「あ~あ、陳屯長泣いちゃったよ。」
「あー、泣かせたー。いけないんだ~。将軍~、隊長が陳屯長を泣かせました~。」
「泣いてない! 鼻がツーンとしただけだ!」
「ギャハハハ、指に鼻水付いちゃった。陳さんで拭いてやろっと。」
「やめて下さいっ!」
「愛しい自分の鼻水だろ~?」
「あなたはご自分の鼻水をいつも自分の服で拭くのか!」
「しねえよオ、そんな汚ったねえ事オ~。」
「どうだか?」
「オラオラ、おのれの鼻水にまみれるがよい! 俺様に手を上げた罰だ!」
「いじめじゃないか!」
「ちょっと、隊長! ほら、お指拭いてあげるから大人しくして下さいよ。おいたしちゃだめですよ!」
「あ~あ、つまんねえのオ。」
これから野戦演習だっつうのに、なんで鼻水なんかで盛り上がってるんだ。馬鹿だろ。



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