三十五、渡河(14)

 岸に着くと案の定、隊長と黄屯長がもめている。
「だから安全対策さえありゃあ文句は言わねえよ。」
「自分が怖いから神経質になってるだけなんじゃないですか。恐怖心を克服する勇気もないくせに。」
「痴話げんかやめて下さいよ~。若い奴らが見てますよ。」
張屯長がおろおろと間に入ったが、両名は聞く耳を持たない。
「もうこれ以上の口出しは無用に願います。もし万が一事故が起こった際には私の首をとればよろしい。」
「てめえの首を取ったって水死した奴は生き帰らねえ。死人を一人増やすだけだ。」
「もう! なに事故ることを前提に話してるんですか。ここは街亭であなた方は馬参軍と王将軍ですか?」
「とにかく、もう始めますから。隊長はどこか安全なところで遠巻きに見守っていればいいでしょう。」
後先あとさき考えずにエイヤっと始めちまって、放っときゃなんとかなるって了見りょうけんか。甘いぜ。そんなことじゃあお前いつまでたってもガキの使いのまんまだぜ。」
こう言うと、隊長は馬に乗ってぷいっとどこかへ行ってしまった。捨てぜりふを吐いてねてどっか行っちゃうなんて、ガキンチョそのものだ。

 黄屯長が号令して部隊に渡河の準備を始めさせる。
「張季寧。」
「はい。」
「おまえ先頭を進め。」
「えっ、なんで俺?」
「昨日自分で尖兵を買って出てただろ。」
え~、あれはただ単に水に入りたかっただけだよ。
「ああそうでした。はい。かしこまりました。」
我ながら随分たるんだ兵隊だな。何か命令されて「えっ、なんで俺?」なんて、そんな反応ありえないだろ。そして、俺のそういうたるんだ反応に誰一人目くじらを立てず流してしまうなんて、どうなってるんだろう。大丈夫なのか、うちの部隊。たるみ過ぎだろ。実戦でいちいちこんなモタクタしたやりとりをしていたら、全滅するんじゃなかろうか。
 考え事をしながらジャブジャブと渡る。機械的に歩いていたら、もう川の中ほどだ。川幅が狭いからな。水も浅いし。ひょいひょいと歩く。と、さっき調査に来た波頭が立ってたところにズボッと腰まではまって一瞬焦る。後ろに連絡する。
「ここ急に深くなってるんで~、気を付けて下さ~い。」
そう言えば黄屯長、どうしてさっき波頭を見つけたところをけずにまっしぐらにこの方向を目指して渡河させてんのかな。きっと隊長へのあてつけだろう。
 隊長はどこに行ったのだろうか。ねてどっか行っちゃうなんて、ほんとガキだよ。隊長のくせに。現場で部下が言うこと聞かなければ独断で死刑にしたって事後承諾されるのによ。強い態度で臨まなければ収拾つかなくなるんじゃなかろうか。それにしても、さっきの隊長の「そんなことじゃあお前いつまでたってもガキの使いのまんまだぜ」という言い草は面白かった。ゆくゆくはもっと偉くなってもらいたいと期待をかけているんだからしっかりやれ、っていう意味だ。そこんとこを理解するだけの読解力が黄屯長にあるかどうか心もとないが。
 あっというまに、なんなく渡河終了。隊長の野郎、心配しすぎだよ。整列し、点呼をとる。と、二名いない。屯長のところの劉公統りゅうこうとう周子宣しゅうしせんがいないんだ。いないって、なんだよ。…………。



《広告》

ページ公開日: 最終更新日: