三十三、密命(9)

「あっ、待って! 置いてかないで下さいよ!」
隊長の歩いて行った方に向かって走ろうかと思ったが、そうすると俺があっちの列まで回りこむ間に隊長はきびすを返して反対側に消えて行くに違いない。あえて隊長の歩いて行った方向とは逆に向かって走る。これで隣の列に回りこんだら、うまく隊長と鉢合わせするんじゃなかろうか。と思いつつ隣の列に入ると、おや、ハズレだ。隊長の姿は見当たらない。
「隊長~、どこですか~。」
まわりをきょろきょろと見まわすが、影も形も見当たらない。
「ちょっと、どこにいるんですか? どうせまたどっか近くから馬鹿にしながらこっちを見てるんでしょ? いいかげんにして下さいよ。」
…………。心細いんですけど。どっかから見てるんだったら、なんか下手な小芝居でも打てばのこのこ出て来るんじゃなかろうか。俺はわざと迷子の子供みたいにメソメソと泣いているふりをしながら
「もう。どこにいるんですかあ?」
と情けない声を出してみたら、背後から
「ここです。」
という声が聞こえた。なにィ? ひょっとしてさっきからずっと背中をつけていた? そういえば、両側にいる店の人たちがみんなクスクスと笑ってるじゃねえか。
「畜生!」
俺が鬼の形相で振り返りながら叫ぶと同時に、隊長も周りの人たちもいっせいにゲラゲラと笑った。
 俺が怒りに震えながら平静を取り戻そうとふうふう深呼吸をしていたら、ぽんと肩に手を置いて
「豆乳飲みに行こ。あっちに俺の行きつけの豆腐屋があるから。」
と歩きだした。行きつけの豆腐屋? なんだそれ。こういう口調で誘うのは、ふつう飲み屋だろ。ケッ。おめざの豆乳かよ。なんてささやかな道楽だ。
「ちょっと、いつまで肩に手を置いてるんですか?」
「おっと失礼。」
慌てて手を下ろして自分の手をしげしげと眺めたかと思うと、ゲラゲラと笑い出した。
「冷たい野郎だ。お近づきになってもう一年半も経ったってのに未だにこういうマブダチっぽい態度を許してもらえねえ。」
「だって部曲督と兵隊は友達じゃないでしょう。」
「ふうん。冷たい野郎だなあ。」
手のやり場に困ったかのように頬をぴしゃぴしゃと叩きながらへらへらと笑う。



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