三十二、跋渉(ばっしょう)(4)

「こっちだぞ~。」
どっちだよ! 馬鹿隊長め! やまびこさんがあちこちから呼んでるぜ。どこにいやがるんだ馬鹿野郎! まさかもう反対側の斜面を下り始めているんじゃあるまいな!
 汗だく泥まみれ、一部血にもまみれながら半死半生で尾根に至る。ふらふらだ。コケた拍子に三丈ばかり斜面を滑り落ちる。小枝がパキパキと皮膚を痛めつけてくるが気にするものか。もうこのままずっと転がって行っちまおう。と思ったら崖だ! おお~、ヤベ~! 死ぬとこだったぜ。よろよろと立ち上がってえっちらおっちら下って行く。下の方がガサガサ言っているから、そっちを目指していけばいいんだろう。前の奴のうちの誰かが列から外れていたら、そいつを追ってる他の連中は全員遭難するかもしれないが。
 目の前まっ暗だ。どっちを目指して進んでんのかな? おれ目エ開いてんのかな? 音だけを頼りに進んでる。危険極まりない。自殺行為だ。下の方から歓声が聞こえてきた。前の方の奴ら、もう山道を抜けて一面の桃の花を眺めているらしい。
 いくらか経って俺もようやく山道を抜ける。桃、咲いてんのか? どれどれ? うん、咲いてる。桃色だ。俺もう桃の花なんかどうでもいっす。死にます。小休止とか点呼とか、なんにもなしか? 前の奴らは街道をひた走って桃園村を目指している。韓英の野郎、部下の誰かが遭難したり死亡したりしてたってお構いなしだってかい。立ち止まる気ねえのか。狂人め。

 オエッってなりながら桃園村に着いた時には、隊長は元気いっぱいに村のガキンチョどもと遊んでいた。
「ほら、ここにもあったぞ~。」
とか言いながらクモの巣袋をしごいてクモの子を散らして遊んでいる。村の人たちは我々の早すぎる到着に面食らいながら慌ただしくおもてなしの仕度をして下さっているもようだ。迷惑な奴め。
 黄屯長が土気色の顔をしながら到着し、点呼をとる。いちおう全員そろっている。すりきず切り傷あたりまえの泥まみれ集団だ。これでお花見かよ。トホホ。隊長は地面に設置した日時計を見ながら
「もうの刻半になるぜ。遅っせなあ。」
と言いながらへらへらと笑っている。奇跡的な速さだと思うが。
 呼吸を整え顔と手を洗い、ようやく人心地ついて桃の花を眺める。ああ、やっぱ、ここの桃畑は壮観だ。花を観るというよりは、まわりじゅうの丘陵がみんな桃色なんだ。別世界に来たようだ。



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