二十五、鏡(9)

 時間は八羽目の鳥がお辞儀をしたところだ。鍾師範はゆっくり頭を振って目をしばたたくと、俄かに恐ろしい顔になって木刀を振い始めた。斬る、なんていう勢いじゃない。打撃でぶっとばす、あるいは鎧の上から中身の骨を粉砕する技だ。隊長もめまぐるしく木刀を繰りながら殺気を漲らせている。表情は真剣そのものだ。玉の汗をかいている。こういう姿を見るのは初めてだ。汗をかくことはあっても、大概いつも顔がへらへらしている。
 刀のぶつかる激しい音が天をとよもし、足を踏み込む衝撃が地を揺らす。一刀また一閃、あたかも竜虎相打つといったところ。なんちゃって。すげえな。こんなガンゴンやりあってて、この人らどうやってその衝撃を逃がしてんのかな。俺だったら一太刀受けただけで腰が砕けるに違いない。歩兵の精鋭ってこんな奴ばっかなんだろうか。まさかな。鍾師範が都で師範やってるくらいだから、こんな代物しろものは一国に何百人も転がってるわけじゃないんだろう。隊長がどうしてこの武術の腕を活かさないでしがない部隊長におさまっているのか謎だが。
 俺は隊長のことを指揮官としても管理職としても大して評価してはいないが、戦士としてだけは尊敬しているんだ。こんな逸材がこんなところに埋もれているとは誠に惜しい。多少年齢がいってはいるが、充分第一線で活躍できるだろう。散兵戦で俺達が五百四人束になってかかっても倒せないんだから、コイツは文字通り一騎当千のつわものだ。前線に立たせないなんて、宝の持ち腐れじゃないか。
 いや、そうじゃないな。一国に何百人も転がってるわけじゃないとしたら、同じ水準の兵士と戦列を組むことができないということだ。過度に傑出した武術なんか、無用の長物だ。どうせ張車騎が何に使うのか考えもせずに趣味みたいにして鍛えたいだけ鍛えたんだろう。気の毒な話だな。挙句、南中では突撃要員にされて、うっかり死なずに働き続けたせいで現地住民の間でちょっと有名になるくらい恨みを買いながら佩玉はいぎょくまで下賜された。表彰しておきながら消耗品として使い続けるわけにもいかず什長にしてみたら案外事務処理もできるということが判明したために、部曲督の員数不足を補うためにそこに充てられたというわけだ。
 部曲督っていうのは、いつもなかなか適材がみつからない場所だ。兵隊の親分と事務屋と、両方をこなせる人材は少ない。三十四という年齢は、兵士としては老境だが指揮官としては青年だ。戦士として使い倒すよりも将校としての将来性にかけたほうがお得だという判断なんだろう。人品はさておき、韓英は若くて元気で意欲的だ。くたびれたようなジイさんを部隊長にすえるよりよほどいい。年下の俺が隊長のことを若くて元気で意欲的だなんて言うのはおかしいが、韓英のオッサンのことを客観的に評価すると、そういうことになる。
「時間です。」
この声を聞くと、二人は同時に同じような笑い声を立てた。
「ギャハハハ。」



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