二十二、標的(8)

 隊長はひどい顔色のまま咳き込んだり喘いだりしながら残りの三名を時間一杯キッチリ痛めつけた後、幽霊のような足取りで陳屯長のところに歩いて行った。苦しげな声で
「陳さん。」
と話しかける。
「俺、具合悪くなっちゃったから、休ませてもらう。後よろしく。」
陳屯長はただならぬ様子に驚いて訊ねる。
「どうしたんですか?」
「喘息。俺、喘息持ちなんだ。」
「顔色悪いですよ。大丈夫ですか?」
「苦しい。死ぬ。いや死なない。たぶん。」
ぶつぶつと独りごとを言いつつ咳き込んだりゼエゼエいったりしながらトボトボと部屋に帰って行った。立ち合いで全員をばっちり打ち負かしたにもかかわらず、まるで敗者のような足取りだ。
 可哀相なことをしてしまった。訓練終了後すぐ隊長室に行ってみる。部屋から十歩ぐらい離れたところまで喘鳴の音が聞こえている。隊長はいつも在室中は部屋の扉を全開にしているのに、今日は閉まっている。おそるおそる中を覗くと、隊長は虚ろな目をしながら背中を丸めてぼんやりと几案つくえにもたれかかって座っていた。中まで入って行くのがおっかないので入り口から顔だけ覗かせていると、隊長がゆっくりとこちらを向いてニッと笑った。おずおずと中に入って
「あの、先ほどはすみませんでした。」
と謝ったら、口の片端を上げてニヤリと笑い、
「いや。よくやったな。」
と褒められた。
「よくもやったな、じゃないんですか?」
俺が言うと、声をたてて笑おうとして咳き込みヒューヒューと喘いだ。季節性ウツの他に喘息なんていう持病まであるのか。意外に弱い。しかし隊長は喘息がでてもやっぱり強かった。というより、手加減するほどのゆとりを失ったぶん、よけいに凶悪だった気がする。

 それから二日間、隊長は体調不良で部屋に引きこもっていた。陳屯長は、半時もぶっ通しで立ち合いを続けるのを一日二回、毎日くりかえしていたから過労で発作がおこったんじゃないかと疑っていたが、俺はたぶん、いや間違いなく、金的攻撃の衝撃がきっかけで発作をおこしたんだろうと思っている。しかし俺はその話を誰にもしなかった。金的を射落としたことを話せば俺は部隊の英雄になれるに違いないが、金的を撃たれただけならともかく、それがきっかけで持病がおこって二日も寝込んだなんていう隊長にとって不名誉な話は、部隊の誰にも聞かせたくなかった。現場を目撃していた俺の什の連中も誰一人としてその話を口外しなかったから、たぶんみんなおんなじ気持ちだったんだと思う。
 以前、隊長の元部下の連中が遊びに来た時に、お噂はかねがね伺っておりますと言った新入りに向かって「働き過ぎて営内で行き倒れになって楊什長に救助されたって話かな?」と隊長が言ったら、楊什長が「あっ、もう! せっかく誰にも話さずにいてあげたのに、なんで自分でしゃべっちゃうんですか!」と言っていたが、営内で行き倒れという不名誉な話を誰にも話さずにいてあげた楊什長の気持ちが今はよく分かる。
 そう言えば、働き過ぎて営内で行き倒れなんてありえないだろ、とその時は思っていたが、今となってはいかにもありそうな話だなと納得する。あの人のそういう感じは、容易に想像がつく。



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