二十、お山の鳥の声(8)

 ようやく仮眠をとれたのは明け方になってからだった。そしての刻半に起き、朝飯だかなんだか分からないものを食った後、まさかの出撃命令が出た。体が寝ぼけてますけど大丈夫なんでしょうか。魏鎮北が麾下きかを引き連れて司馬懿に勝負を挑むという。魏鎮北の麾下にはもちろん俺達も含まれる。まさかこのあいだ隊長が将軍や丞相に、司馬懿を生け捕るだのぶっ殺すだのと宣言したのが効いちまったんじゃなかろうな。最悪だ。
 敵陣の前に我が師団しだんの様々な兵科の部隊が展開する。うちの刀盾隊とうじゅんたいは中央の後方、将軍の司令部のまん前にいる。この配置、魏延ぎえんの野郎、マジにやらせる気だろう。なに考えてんだ、ジジイ! 目を覚ませ! 韓英はただの大言壮語癖の馬鹿なんだぞ! 俺を殺す気か!
 おそるおそる隊長の表情を窺う。なんなんだか知らないが、余裕の表情で微笑んでいる。頭おかしいんじゃねえか。
「司馬懿なんか、絶対ごっつい親衛隊に守られてそうじゃないですか。どうするんですか? まさかご自分を基準にしてものを考えてるわけじゃないでしょうね。我々みんな、隊長みたいな鋼の戦士なわけじゃないんですよ? 本気で司馬懿を倒すことができるなんて思ってるんですか?」
「みんなだったらできるよ。」
「何を根拠に言ってるんですか? 誇大妄想狂なんじゃないですか?」
「できるよ。できない時は君らが死ぬ時だ。」
魔鬼あくま!」
「そんな時には俺も一緒に死んでやるよ。感謝しな。」
微塵みじんの緊張もなくにっこりと笑う。なにが「俺も一緒に死んでやるよ。感謝しな。」だよ。馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいと思いつつも、妙な快感が身体を貫くのはどうしたことだろうか。どうやら本物の魔鬼あくまというものは、人間みたいな顔をしてにこやかに近付いてくるものであるらしい。
 前に並んでいる連中は、自分達が司馬懿の親衛隊と戦う運命にあることを知っているだろうか。いつも通りにきちんと前を向いて並んでいる。仲純が隊長の宣言を言いふらしているかもしれないが、あいつが言ってもみんな話半分にしか聞かないだろう。それより、今日の自分達の配置を見て、何か感じているかもしれない。
 当方から司馬懿の陣営に対し、しきりに戦いを挑む。野次やじを交えたり、騎兵を数騎カポカポと走りまわらせたりするが、先方は一向に応じる気配がない。半時はんとき経ち、一時いっときが過ぎ、当方は虚しく引き揚げた。



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