二十、お山の鳥の声(7)

 何日か経った。司馬懿は連日我が軍に戦いを挑んでくるが、我々に出撃の命令は出ない。そこは駆け引きなんだろう。向こうから挑んでくるということは、こっちが挑発にのることが相手にとって有利になるということなんだろうから、出撃命令がなくてもそれでいいんだ。
 更に数日経った晩、ようやく出動命令が出た。陣地からほど近くの街道沿いで伏兵やるらしい。面白い。伏兵なら歩兵の出番だ。お馬ちゃんは物音立てずに何時間もじっとしてはいられないからな。
 遠足気分で出かける。今宵はまあまあの月夜だ。鎧が光を反射しないように上に衣を着こんで行く。暑い。蛙が鳴いている。もう完全に夏だ。隊長が蛙の鳴き真似をしてふざけている。暑苦しい。
 真夜中だ。眠くてしょうがない。懸命にまばたきを繰り返しつつ、いっそ寝ちゃおっかなと思っていた矢先、遠くからかすかに地響きが伝わってきた。敵の騎兵が近付いて来ているに違いない。目が覚める。馬の足音や装具のカチャカチャいう音など、様々な物音が聞こえ始める。間近に迫った敵が何やら会話をする声も聞こえ出した頃、突然敵が退却のかねを鳴らし、同時に我が軍には抜刀の号令がかかる。立ち上がり松明たいまつ皓皓こうこうと照らし、敵を囲む。丞相の代わりに大声を出す係の瀋公倹しんこうけんが敵に向かって呼びかける。
戴陵たいりょう張郃ちょうこう、よく聞け。司馬懿は私が武都ぶと陰平いんぺいの鎮撫に赴いて不在であろうとたかをくくり、貴様らに我が本陣を衝くよう命じたのであろうが、これこそこちらの思うつぼである。まんまと罠にはまったな。貴様らのような雑魚の命まで取ろうとは思わん。早々に馬を下りて降伏するがいい。」
公倹こうけんの声はじつに名人芸だ。すばらしくよく通る。敵の将軍は武人らしく自分の口からじかに答える。
「貴様のごとき山猿が、よくも我が大国の境界を侵して無礼な妄言を吐いたな。俺が貴様を捕らえた暁には、死体を粉々に砕いてくれる。」
この人も相当大声出し慣れている感じだな。言い終えるや、我々の本陣に向かって突撃をかけてくる。無茶な野郎だ。我々にも攻撃の命令が出て、隊長が恐ろしい声で
張郃ちょうこうを殺せ!」
と言っていると、伝令が走りまわりながら
「生け捕りー! 生け捕って下さーい!」
と慌てていた。なんで生け捕りにこだわるのかな。手強い奴はさっさと殺しちまえばいいじゃないか。隊長はあいかわらず怖い声のまま言い直した。
「もとい! 馬を狙え! 張郃の馬を殺せ! 四肢を全部ぶった斬れ!」
残酷だ。動物好きなんじゃねえのかよ。
 もたくたやっている間に張郃には逃げられてしまった。もう一人の戴陵たいりょうの部隊と揉み合っている間に、思いもかけず張郃が不意の方向から戻ってきたので、態勢を立て直している間に両名とも逃げてしまった。この交戦で我が軍は大量の兵器や軍馬を得て、大勝利だということにはなったが、俺はなんとなく食い足りない気がした。敵がガッツリ罠にはまったのに大将首をとれないなんて、だめだろう。
 陣に引き上げ点呼を終え、鎧に付いた返り血なんかを地味に拭き取っている時に、
「あ~あ。なんで生け捕りなんですかねえ。」
とぶうたれていたら、隊長はへらへらと笑いながら
「さあ。ま、どうでもいいじゃん。」
と言って俺の顔をごしごしと揉みほぐし始めた。
「この表情、気に入らねえなあ。笑う門には福きたるだぞ。」
「言うことがいちいちジジイっぽいですよ。」
「ご長寿の人の行動様式にならって生活したら、長生きできそうじゃねえ?」
「え~? ほどほどの馬鹿は長生きしますけど、極端な馬鹿が長生きしたためしはありませんよ?」
「ふうん、そっか。ま、しょうがないね。」
あっさりしたものだ。



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