二十、お山の鳥の声(3)

 彼方に砂煙に霞む陳倉城が見える。相変わらず万全の防備が施されているのだろうか。近付いて行く。相変わらず、誰一人迎撃に出てこない。幾重にも廻らされた障壁。前回俺達を十字線で狙い撃ちにした支城も健在だ。巍巍ぎぎたる相貌そうぼうが目前に迫る。ひっそりと静まりかえった城頭から、鬼気ききが立ち昇っている。…………
 ひっそりし過ぎだろう。誰もいねえのか? 将軍、なんか言って下さい。すげえ不気味。俺達はおっかなびっくり立ち往生する。不気味すぎて心臓がバクバクいうのが自分で分かる。手のひらに汗かいちまった。隊長になんか言ってみようかと思うが、喉が麻痺したみたいに声もでない。ビビりすぎだろう、俺。でも、全員ビビってる。だって、誰一人ヒソヒソ話の一つもしないんだ。風の音だけが通り過ぎていく。
 ぴゅーん、と間の抜けた音が、こつとして城頭から上がる。石火矢いしびやの音だ。俺は総身の毛がよだった。城壁の上に幾旒いくりゅうもの旗が一斉に立てられる。旗の竿さおを石畳の上に突くカタカタいう音にビビり、ションベンをちびりそうになる。……それ、我が軍の旗じゃん。ちょっともう。やめてくれよ、そういうの。俺は一気に緊張が緩んで腰を抜かしそうになった。涙目だ。
 ふうん、やっぱ俺ら、陽動隊だったんだ。奇襲隊がとっくに陳倉を攻略済みか。まあいいけどよ。まだ心臓バクバクいってる。こめかみが痛い。クソッ。城頭から
「二人とも、遅かったな。」
という声が聞こえた。俺達の将軍ときょう奉義ほうぎ――奉義将軍ほうぎしょうぐん姜維きょうい――に向かって丞相じょうしょうが言った言葉だ。なんだよもう。俺らは陽動隊の役割を果たしてやったんじゃないか。遅かったってなんだよ。プンプン。
 城門が開かれ、丞相がおなじみの四輪車に乗って出て来る。あの人はなんだって好きこのんであんなものに乗っているのかな。孫臏 そんびん気どりなのだろうか。俺様は馬になんか乗らねえ、知謀で勝負だ、ってかい。魏鎮北ぎちんほく姜奉義きょうほうぎが丞相の前に平伏して妙なことを言う。
「まことに神計であらせられます。」
なんて偉い人たちだ。うちの馬鹿隊長でも我々が陽動隊だって気付いていたんだから、魏鎮北と姜奉義だって絶対にこういうことになるだろうって予測していたはずだ。べつに丞相の計にさほどぶったまげて感心したわけではあるまい。にもかかわらずわざわざ平伏までして丞相を持ち上げるのは、下々の兵卒どもに「俺達の丞相はスゲエ」って思わせるためだ。そう思っておけば、兵隊は勇気百倍だからな。俺が隊長に
「まさか隊長もまことに神計であらせられるって思ってるんですか?」
と質問すると、隊長はくだらないことを聞くなとばかりに無言で眉をひそめた。



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