十八、桃姚路(とうようろ)(8)

 けっこうな速さで山を下る。小休止もなしだ。日が高くなる前に山を抜けようと必死なのだろう。疲れるんですけど。隊長は文句一つ言わずにルンルンとついてくる。他の人に指揮をしてもらってこいつが一介の兵卒として働くのなら、さぞ使い勝手のよい良い兵隊であるに違いない。丞相がこいつを部曲督に取り立てたのは間違いだ。こんな野郎は、一生ヒラの什長のまんまあれこれ用事を言いつけてき使ってやればよかったんだ。我が軍は一名の優秀な戦士を失い傍迷惑はためいわくな指揮官を得た。なんとも惜しいことだ。
 鬱蒼たる木々を陽光があぶり、むせかえるような樹木の臭いに閉ざされる。そんなに広い山ではないはずなのに。方角だって間違ってない。なんなのだろう。まさか夷陵いりょうの戦いの際に丞相が呉軍を閉じ込めたという八陣図はちじんずが、この山にしかれているのではなかろうか。よもやと思いつつ、後ろを歩く隊長の顔を見る。楽しげに笑っている……
「てめえ、悪ふざけもいいかげんにしろ!」
と俺が怒鳴ったのと、前を進む連中が
「わぁっ!」
と歓声を上げたのと、ほぼ同時だったと思う。
「見てみろよ。」
隊長がにこやかに前方を指さす。おそるおそる振り返ってみると、……
 俺は息をするのも忘れて前方に広がった天地を見た。ゆるやかな斜面の、そこも、ここも、見渡す限り桃色だ。
「いい場所に出てきたな。あの街道は、とうようというんだぜ。」
まさか、これも妖術なんじゃなかろうな。狐につままれたような思いで、止まっていた息をゆっくりと吐き出す。さっきまでみっちり茂った森の中にいたのに、なんなんだよ。ふうっと息を吐ききったところで、なんだか知らないが涙まで出て来る。だって、突然すぎるし、美しすぎる。
「山で迷子になった挙句ここに出くわすってのは、ほんとにいい眺めだな。実は俺九年前のこの季節におんなじ山通って張車騎に連れられてここに来た。あの人もやっぱ道に迷ってたな。この山、一筋縄じゃいかねえんだよ。」
可笑しそうに笑っている。
「だから今回張屯長が山を突っ切って花見に行くって言ってくれた時は、嬉しかった。」
それ、意地悪で言ってんのかな。でも顔を見ると本当に嬉しそうだ。なんなんだろう。

 桃姚路を半時ほど歩くと、目的地の桃園村に着いた。村の人たちはご厚意でごちそうや酒を用意してくれていた。中でも、大きな焚火たきびで牛を一頭分全部焼いてくれたのは豪勢だった。牛肉は張車騎の好物だったという。ふうん。きっと、九年前に張車騎がここへ来た時、よっぽど村の人に好かれるような行動をとっていたのだろう。ご威光にあやかって、俺らもごちそう頂きました。ごっつぁんです。



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