十六、定軍山の十一日間(9)

「こうなるって分かってた?」
「はい。」
「ふうん。そうまでして俺を倒したいかよ。」
「その一念だけでここに来ました。」
「ふっ。可愛い奴め。」
意味不明だ。
 この夏侯栄を白兵戦でたおすのは不可能に近い。みんなここぞとばかりに矢を射かけてくる。しかし標的の防御は完璧だ。誰かが障壁を撤去しなければ矢を無駄に費やすだけだろう。俺が伏兵の指揮官だったら、いったん射ち方をやめにして、誰かに調理台をどけに行かせる。夏侯栄が激昂してそいつを倒しに出てきたところを一斉射撃だ。誰か来い。早く誰か来い。野郎を矢で仕留める千載一遇の好機だぜ。
 誰も来ない。馬鹿野郎。伏兵の指揮をとってるのは屯長か。あのボンクラめ。矢は豪雨が降り注ぐ時のようなすさまじい勢いで盾と調理台を打ち続ける。先端に綿を巻いてあるとはいえ、うっかり目に当たれば眼球が破裂するくらいの威力はあるだろう。みんな韓英が不死身だという噂を真に受けているのか、全く容赦がない。音が怖すぎる。この斉射はいつ止むのだろうか。だんだん心細くなってくる。一寸でも動いたらどこかに矢を被りそうだ。
「すごい心細くなってきたんですけど。」
「ギャハハハ、マジか。」
「あのお、なんか、危険な目に遭って恐怖でドキドキするような場合に、一緒にいる人と恋に陥ってしまうっていう説あるじゃないですか。恐怖のドキドキを恋のドキドキと勘違いしてしまうっていう。もし今そんなことになったら悲劇ですよ。」
「なるほど。そりゃ危険だな。」
こう言い終えるや否や、隊長は調理台を蹴倒して立ち上がり、
「この小麦粉はもらって行くぜ。」
と言って盾を構えながら悠然と陣地に引き返して行った。ああ、しまった。盾を取られた。



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