十六、定軍山の十一日間(3)

 南鄭なんていから定軍山までは七十里あまりだ。夕方には到着した。その日は戦争ごっこには取りかからず、山のふもとで宿営の準備をした。みんながかまどを作って夕食の支度をすすめる傍らで、隊長は古戦場跡にある祭壇のまわりを俺に掃除させながらせっせと供物を並べている。
「線香まで持って来たんですか。」
「あれ、知らなかった? 線香なんか、遠足の際の当たり前の備品だよ。」
「そうなんですかあ? そんな、常備しとくほど使用頻度ありますかね。」
「あるよ。道端とかになんかよく分かんない祠とかあったら、とりあえずバチあたんないようにお祭りしてから通るじゃん?」
「へえ、知らなかった。」
真面目な表情で線香に火を点けている。意外に信心深い。
 古戦場といっても、定軍山の戦いはたった十年前だ。先帝が漢中かんちゅうを掌握した頃に設けられたであろうその祭壇には、今でも近隣の住民がちょくちょく線香を供えている様子だ。きっとこの地で戦死した夏侯淵の霊を鎮めるため、というか、生前に威力のあった人は没後もなんかたたりとかしそうでおっかないという心理から、祭りを絶やさないのだろう。
 メシが蒸し上がるのを待つ間に、隊長は火の始末の係を除いて全員を整列させ、演習開始前の祭祀を行った。冗談半分で古戦場で戦没者の霊を騒がせながら演習を行って万が一なにか事故でもおこったら、たたりだと非難されかねないから、きちっとやることにしたのだろう。それに、ここにいる隊員の中には、もしかすると定軍山の戦いで身内を亡くした奴もいるかもしれない。
「大漢建興七年春二月朔日、現屯南鄭部将韓英、謹陳祭儀。」
みたいな調子で厳かに始まる。こんなまともっぽい祭文つくれんのかよ。什長あがりのくせに。なにやら格調高いなに言ってんだか分からない美文調で延々となんか言っている。よく分からないが、趣旨としては、かつてここで戦った人たちは立派だったよとか、我々まじめな目的で軍事訓練に励んでますっていうようなことを言いたいらしい。で、
「神また霊あらば、こいねがわくはけよ。」
みたいな感じでしめやかに祭祀を終える。ちょうどメシも旨そうに蒸しあがる。
「さあ晩飯だ。おっと、ほかほかごはんもお供えしとこっと。えーっと、あと、酒。酒盛りしよう、酒盛り。」
古来、新月の夜には酒盛りをしてはならないとされているが、シカトして楽しく宴会を始める。三々五々、祭壇の前に食べ物や燗をした酒を持って行く奴もいれば、そこから取って飲み食いをする奴もいるなど、霊と人と入り乱れてワイワイやる。そこに眠る英霊たちがそれで満足したかどうかは知らないが、たぶん快く演習を許可してくれるだろう。



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