十六、定軍山の十一日間(11)

 敵の陣地に我が軍が攻め込む音が聞こえてきた。隊長は微動だにせず俺の作業を見ている。
「あのお、そちらの陣地が攻め込まれてますよ。放っといていいんですか?」
「そうだな。生地捏ね終わるとこまでやったら救援に行くか。」
「えっ、まさか実戦でもそんな態度とるんですか?」
「さあな。」
「ちょっと、冗談じゃないですよ。実戦では麺作りは後回しにして救援して下さいって。それ当たり前ですよね。」
「手が止まってるぞ。せっせと捏ねろ。」
「自分料理なんか興味ないって言ってるじゃないですか。これ罠ですよ? 分からないんですか?」
「罠なのは分かってるけどな。真面目に作ろうってんなら教えてやろうと思った。やる気ねえなら帰るぜ。」
「え~っと、やる気はないですけど、帰られたらおとりの任務が達成できないじゃないですか。そっちの陣地が陥落するまでここにいて下さいよ。」
「へっ。虫がよすぎるぜ。お前がやんないんだったら、この捏ねかけの生地は俺様が頂いていく。とっととせな。」
夏侯栄は料理鉢を抱えてプイッと帰って行ってしまった。その日我が軍が敵陣を落とせなかったことは言うまでもない。

 九日目だ。屯長たちが相談している。
「夏侯栄を無視して、夏侯淵を倒すことに専念しようぜ。」
「でもあいつ慎重だから誘き出して討つってことは難しそうだな。」
「夏侯淵を倒したら、夏侯栄が後を継いでよけいやっかいになるだけだ。」
「後を継ぐのは夏侯尚かこうしょうだろ?」
夏侯衡かこうこうだろ?」
「定軍山の戦いに、夏侯衡なんて来てたっけ。」
「知らないけど、しん屯長が夏侯衡の役やるって言ってた。」
呑気にしゃべっていると、突然
「敵襲ー!」
という声が聞こえてきた。当たり前に非常呼集、そして迎撃にかかる。襲ってきたのは張郃の軍だった。敵は
「劉備を捕らえろ!」
「黄忠を殺せ!」
と口ぐちに叫んでいる。だからあ、それダメですって。不敬です。
 敵は矢をものともせず柵をブッ壊しにかかっている。張屯長ってそんな激しい性格だったかな。完全に張郃になりきっているか、連日の勝ち戦でなんか憑きもんついちゃったか、どちらかだろう。一方、こちらは気持ちの上で完全に圧されている。落ち着け俺、平常心、平常心。ああダメだ、平常心、なんていう言葉を唱える時は、到底平常心になれない時に決まっている!



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