十、陳倉城(5)

 今日の行軍は半ばお祭りだ。盛装のまんまきっちり三十里だけ進んだら早速宿営、しかも夜には酒が出て音楽まで流して宴会するのだ。なんと楽しい一日だろう。天気もすばらしい。抜けるような青空だ。中身はさておき見た目だけは立派な隊長に率いられて歩くことにこの上もない喜びを感じる。人間の心理をこういうふうに持って行くとは、恐るべき軍事技術だ。隊長を見てときめいちゃうなんて、ぜったい気のせいだろう。ありえない。完全に平常心を失ったままクラクラしながら歩く。隊長の野郎、なんで自信ありげに微笑みながら凛として騎乗してやがるんだ。格好よすぎるだろ。ダメだよ、そんなの。違う、そうじゃないんだ。騎乗する時に姿勢がいいのはいつものことだ。それは、それが一番安定する姿勢だからってだけの理由なんだ。自信ありげに微笑んでいるように見えるのは、いつも通りにへらへらニヤニヤしているだけだ。きっと前日に考え付いたダジャレでも思い出して、黙って思い出し笑いしてるだけに違いない。頭を冷やせ。冷静になるんだ、俺。
 結局その日は熱にうかされたような状態のまま就寝した。

 翌日起きたら、隊長はいつも通りのなりをして、いつも通り呑気に馬と遊んでいた。
「おはようございます。」
と言ったら、ニコッと笑って
「おはようございます。」
と言った。なんだか懐かしい。涙が出そうだ。隊長は俺の一番上の兄貴と同い年だ。なんで兄貴のことなんか思い出したんだろう。隊長はニヤニヤっとして、南鄭なんてい城を振り返って
「近っけえなあ。」
と笑った。たった三十里しか離れていない。ひとっ走り帰って朝飯食ってからすぐここに戻ってこれそうだ。もしこの遠征で戦死でもすれば、二度と帰ることはない。この三十里は、無限に遠い三十里だ。
 南鄭城の反対側を振り仰げば、巍峨ぎがたる山脈が目前まで迫っている。これから十日の間、ひたすらくねくねとした山道を歩く。坂を上って上って、道が曲がるたんびに似たような景色を見て、閉所恐怖症みたいになりながら過ごす。しかし明月峡に行ったときのような強行軍ではない。夜は暗くなれば寝るし、煮炊きもする。中休止もあるしおやつもでる。なにもとりたててのんびりと遠足気分でやっているわけではなく、これがごく普通の行軍だ。山道を抜けたら目の前にすぐ敵の拠点の陳倉ちんそう城がある。そこへ到着する前に兵隊たちが疲れきって嫌気がさしていたら戦いにならないから、そうさせないための最低限の配慮があるに過ぎない。この十日で秦嶺しんれい山脈を越える。秦嶺の最高峰は千何百丈という高山だ。もし訓練でやったような強行軍をすれば体調を崩す奴が続出するだろう。



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