十、陳倉城(15)

 翌日には二段目の堀を埋めた。この日は今回の城攻めで初めて我が部曲から死亡者がでた。転落死だ。堀の横を歩いていた時に踵に矢が当たり、堀に落ちて首の骨を折り即死だったという。俺は目撃していなかったが、たぶん両手に盾と土嚢を持っていたから変な落ち方をしてしまったのだろう。踵を射られただけで死ぬということはそうそうないし、堀に落ちただけで死ぬということもそうそうないだろうが、運の悪い奴だ。隊長がなんて言うかなと思ったが、無表情に
「気をつけよう。」
と言っただけだった。
 の波状攻撃に難渋しながら丸一日かかって堀を埋め、次の日には三段目の逆茂木の撤去にとりかかる。この地点は前日にも増して危険だった。なぜなら、出城と本城の両方の射程に入り、十字線に入ってしまうからだ。防御を固めながら作業をすると、カメのようにのろのろとしか進まない。こんな危ない場所で長時間かけて作業するというのはおトクな話ではない。できればチャチャッと済ませてしまいたい。
 敵から本格的に矢が飛んでくるようになったのは二日前からだが、初日に間断なく射かけてきていたのに対し、その後の二日間は波状攻撃だ。敵にしてみれば、そのほうが矢の温存にもなるし、間隔が開いて相手が油断した隙に射かけたほうが効果も高いだろう。隊長は十字線上でのろのろと作業をさせるのがイヤだったらしく、矢の攻撃が止むたびに俺達の盾を納めさせ
「両手使ってチャチャッとやっちまえ。」
と言っていた。今日はブラブラと歩きまわることはせず、一心に出城と本城を眺めては、盾構えと納めの指示を出し続けた。城を窺えば矢が発せられる兆候が察知できるらしく、いつも盾構えの号令が出たあとに矢が飛んで来た。もし城の側が一斉に矢を発するのではなく兵士一人一人に好き勝手な時に射てよいと指示していれば我々はもっとてこずっただろうが、そういうことはなかった。陳倉城の守将の郝昭かくしょうという人は、秩序を重んじる人なんだろう。それと、これだけてこずっている我々に対して城から矢を射かけるだけで、全く兵隊を出して来ないのは、やはり陳倉城の人手の少なさを物語っていると思う。矢と協調した野戦部隊に叩かれたら俺達はひとたまりもないはずだが、それをやる人手がないというわけだ。
 三段目の逆茂木は当日中に撤去できず、次の日も終日取り組んだが、まだ人馬が通れる状態には至らなかった。その二日の間に我が師団にはおびただしい死傷者が出たらしい。うちの部曲では一名が転落死した以降は死亡者は出ていないが、負傷者は十数名でた。



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